プロフィール

初めまして、yuki(@yuki_lifewell)です。

このページでは、私が動画編集に出会って人生を変えたストーリーをまとめています。

5分で読めるので、作業の箸休めにご覧ください

どん底からのスタート

簡単な自己紹介をすると

私は、宗教施設で生まれ育った、「宗教二世」です。

偏差値40以下の高校を卒業し、当たり前のように宗教施設で働いていました。

20歳で、そこから必逃げ出して、初めて就職したのはブラック企業の営業職

毎日のように怒鳴られ、心も体もすり減らすだけの日々。

家は、3万円の賃貸で、寝るためだけに帰っていました。

  • このまま、誰かの言いなりになって死んでいくのか?
  • 私の人生、これで終わりでいいのか?

これは、特別な才能があった人の話ではありません。

あなたと同じ、いや、それ以上に「何者でもなかった凡人」が、人生をひっくり返した記録です。

20歳で洗脳から目が覚めるまで

繰り返しですが、私の実家は宗教施設です。

数家族が共同生活をし、毎日のお祈りや、宗教行事が家で行われていました。

子どもの頃は、同世代の子と兄弟のように過ごせたので楽しい思い出です。

しかし、お祈りや宗教行事への参加は強制で、サボれば怒られますし、昔なので暴力もありました。

そして、私は勉強が嫌いで成績が悪く、宗教の関連学校へ進学。

偏差値を調べましたが、出てこず、教祖と自分の名前を書けば受かる学校です。

そこでは、実家以上に宗教のことには厳しく、携帯も禁止で外部の情報も入らずに、普通に洗脳されました。

自分は、このまま神様のために働いて、それが親に喜んでもらえるんだと、本気で思い込んでそのまま実家の宗教施設で働き始めました。

しかし、実家で働き始めてある違和感に気がつきました。

そこでは、社会や人の悪口を言って、自分たちを肯定するという、宗教の目的とはかけ離れた人が集まっていたのです。

そして、それは私も同じで、人を批判する側に回って、周りと同じように振る舞いなんとか自分を保っていました。

ここで、毎日、毎月、毎年の行事のルーティンをこなし、申し訳程度の地域へのボランティアをして、一生を過ごすのだと本気で思っていました。

…….

「このまま、ここで過ごしたら一度きりの人生台無しになってしまう。」

そう感じた私は、金を稼ぐ方法を模索し始めます。

毎月、小遣い程度のお金を支給されていたので、オーディオブックで学び、飲み会を断りながらなんとかパソコンを買いました。

ちなみにこの時は、メンタリストのdaigoさんや、初期のAkioblogさんに大きく影響を受けて、あんな環境でも腐ることなく、行動することができて感謝しています。

そして、学歴もスキルもない私が稼ぐには、営業しかないと思い、隠れて就職活動を行いました。

この就職が、私の人生を大きく変えてくれることになります。

ブラックな会社での営業、動画編集との出会い

ほんとはリクルートの契約社員になりたかったですが、見事に落ちまして、できて3年目のベンチャー企業に入社しました。

入社が決まり、実家には置き手紙をして逃げてきました。

家族は大好きなので、本当に心が痛んで泣きまくりましたが、こうするしかありませんでした。

そして、スーツとキャリーバックで夜行バスに乗り込み名古屋に向かいました。

最初は、自由に浮かれていましたが、仕事が始まると、かなりハードでした。

  • 研修は1日商材の勉強をして、「じゃあ飛び込みで一件取ってきて」
  • ほぼ不可能な目標を立てさせられ、未達だと怒鳴られる
  • 人数が少ないから、営業以外の制作部分も知識なしでやらされる。
  • 社長の機嫌が悪いと、夜中まで居酒屋で説教

当時の私は、ただの使い捨てられる営業マンでした。

朝、重たい体を引きずって満員電車に揺られる。

会社に着けば、理不尽なノルマと上司の怒号が待っている。

残業代は出ない。 給料は上がらない。 それなのに、税金と将来への不安だけは確実に増えていく。

それでも、家族を裏切ってまでここにきて逃げ出すわけにはいきませんでした。

とにかく2~3年耐えれば、まともな会社に転職できると自分に言い聞かせて、淡々と営業のスキルを磨くことに集中しました。インセンティブも出るはずでしたが、いろいろ言い訳をされてほとんど出ませんでした。

その中で、自由になりたいと副業を模索し始めます。

  • プログラミング
  • ブログ
  • デザイン

当時この3つが流行っていて、私もすべて試しましたが、半年も頑張れませんでした。

しかし、これらの知識が後の自分を大きく飛躍させてくれる材料になりました。

動画編集で初めての副業収入

そんな絶望の淵にいたとき、たまたま出会ったのが「動画編集」でした。

きっかけは、明石ガクトさんの「動画2.0」という本でした。

そこには、「動画の時代が到来する」と書かれていて、今後あらゆる情報が動画化していくと買いていました。

さらに私が動画編集を選んだ理由は、以下の条件を満たしていたから

  • 特別な才能がいらない
  • PC1台あれば、自由に仕事ができる
  • 量をこなせば身につく

あまり賢くない理由ですが、これが21歳の人生どん底の自分の考えでした。

「自分の力で生きていく武器が欲しい」

その一心で、私は動画編集という武器に、しがみつくように没頭しました。

8ヶ月かかった動画編集で2000円稼いだ

SNSで見るような、3ヶ月で月5万円みたいなのは夢でした。

夜も朝も、眠い目をこすりながらPCに向かう日々。

独学で勉強を始めた私は、最初の8ヶ月間、収益ゼロという壁にぶつかりました。

当時の私の生活は、かなり泥臭いものでした。

  • 毎日、Udemy講座を見ながら操作を覚える
  • 動作の遅いパソコンで、騙しながら作業
  • 時給換算で数百円の作業をひたすらこなす

かなり体力的にギリギリの日々を過ごし、「自分には無理なんじゃないか」と諦めかけました。

しかし、8ヶ月目に初めて自分の力で稼いだ「数千円」が振り込まれたとき。

会社の給料とは違う、震えるほどの感動がありました。

その、小さな成果が自信を与えてくれました。

正直、赤字でしたが、うれしくて仕方なかったです。

そして、人生は「決断」で動き出した

副業で月5万円を稼げるようになり、私は「動画編集へのフルベット」決断します。

転職活動を始め、広告会社から採用をされ働き始めました。

ブラック企業を辞めて、ホワイトではないですが、普通の企業で動画編集者として働きました。

やっと、みんなと同じラインに立てた気がして本当にうれしかったです。

繰り返しになりますが、

  • 宗教二世
  • 偏差値40以下の高卒
  • ブラック企業の営業

文字を並べると、かなりハードモードなところから、「動画編集」で人生が好転しました。

新しい会社では、本当にたくさんのことを学ばせてもらいました。

  • 広告動画の作り方
  • チームでの仕事の進め方
  • マーケティングの知識

この会社での経験が、間違いなく今の私の根幹になっています。

その会社で2年働き、次の会社に移り順調に年収も上がっていきました。

気づけば本業では年収500万円を超え、副業月収は40万円を超えていたと思います。

そのタイミングで、フリーランスになる決心をし、今は田舎にて継続案件のみで生活しています。

動画編集で自由を手にいれた

今、私は旅行でロサンゼルスにいます。

「世界一景色がきれい」と言われるスタバで、この文章を書いています。(あいにく霧でしたが笑)

好きなときに旅をして、好きな場所でPCを開く。

かつて夢見ていた「自由」が、今は当たり前の日常になりました。

今、読んでいるあなたに伝えたいことがあります。

  • 年齢
  • 才能
  • 環境

これらは関係ありません。

「あのとき始めておけばよかった」と後悔する人生とお別れしませんか?

宗教も、ブラック企業も関係ない。 人生は、何度でもやり直せます。

いつでも、だれでもやり直せる

無責任と言われるかもしれないですが、私はいつでも、誰でも変わる勇気があれば、人生はやり直せると信じています。

このプロフィールでわざわざ、

  • 宗教二世
  • 偏差値40以下の高卒
  • ブラック企業

このような、話さなくてもいい過去を伝えたのは

「自分にも何かできるかもしれない」

と感じてくれる方が、1人でもいればと考えたからです。

私の人生は、いわゆる底辺から始まりましたが、自分のできることを必死でやってきたから変われました

新しいことに挑戦している方。
困難に立ち向かっている方。

どうか、負けないでください。

あなたなら絶対にできます。

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もしここまで読んでくださった方がいれば、最後に一言。

動画編集は小さな努力を積み重ねれば、誰でも結果を残せる可能性があります。

私自身、地道にコツコツと努力してきた結果、稼げるようになりました。

「動画編集で稼ぐってどういうこと?」と感じた方は、まずは「知る」というところから小さく挑戦してみてください。

》動画編集で5万円稼ぐロードマップ

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